プロフィール

▮ プロフィール

整体Salon Blue.
代表 若木 宣嗣

■整体師 ■カイロプラクティック師
■姿勢アドバイザー ■BMC O脚矯正法セミナー講師

-略歴-

・整体専⾨学院にて整体の基礎を学んだのちカイロプラクティック専⾨校の聴講⽣として脊椎矯正の技術を学ぶ。
・卒後も全国を渡り歩き手技療法系のセミナーを受講。勉強に費やした時間は数千時間に及ぶ。
・整形外科医院のリハビリテーション科にて5年間勤務。
・平成14年に⽻村市にて緑ヶ丘カイロプラクティックを開院。
・令和2年に現在の福⽣市へ移転。

整体・カイロプラクティック・オステオパシー・筋膜リリース・タイ古式マッサージ・頭蓋療法・整顔術・O脚矯正術などの手技療法を幅広く学んでいます。

ごあいさつ

はじめまして。ウェブサイトをご覧いただきましてありがとうございます。

私は20代の頃に椎間板ヘルニアという重症の腰痛を患いました。
仕事は出来ない、運動も出来ない、普通に歩くことすらままならない、

⼀時はどうなることかと、⾃分の将来が⼼配になるほど⾟い時期がありました。

幸い現在は病を克服し、バリバリ働いて趣味やスポーツも⼈並みに楽しめる⼈⽣を取り戻すことが出来ました。
私があの⾟い腰痛から抜け出すことができたのは、今こうして⾃分の仕事となっている「整体」との出会いがあったからなのです。

その時の出来事と現在に至るまでのお話をします。
文章ばかりで見づらいかも知れませんが、慢性的な腰の痛みや椎間板ヘルニアなどでお困りの方へ回復のヒントになりましたら幸いです。

病院や整骨院における腰痛治療の限界を知る

腰痛で病院にかかる時、レントゲン検査などで重篤な所見が認められなければ痛み止めの薬や湿布、理学療法による温熱・電気治療といった対症療法が⾏われます。
それでも改善しなければ⼿術という話になります。

私が整体と出会う前に病院や整骨院で受けていたのがこの対症療法でした。
治療といえば腰や⾸を引っ張る牽引(けんいん)、温熱や低周波などの電気治療、処⽅された痛み⽌めの薬を飲んだりシップを貼る程度のことでした。

けれどもこれらの治療では私のガチガチに固まった腰にはまったく効いている様子がありません。
治療と呼ぶにはあまりに頼りなく感じられ⾮常に不安でした。

⼀向に改善の兆しが⾒えないまま病院通いが半年を過ぎたころ、医者にこう詰め寄りました。

「リハビリを続けれていれば本当に治るのでしょうか︖」

この⾔葉に医者はこう答えました。

「うーん、それじゃあ⼿術をしましょうか」

このように現代⻄洋医学では保存療法でダメなら⼿術といった極端な選択肢しか⽤意されていません。
当時の椎間板ヘルニアの⼿術はリスクの割に効果が低いうえ、再発するという噂を聞いていたので⼿術を断ります。

この時点で病院や整骨院での腰痛治療に見切りをつけ通院を止めてしまいました。

整体との出会い

“電気治療と⼿術の間”のような、今までよりもう少し積極的な方法は無いのだろうか︖
もっと体に劇的な変化をもらすような方法でなければ私の腰は治らないのでは︖
この頃の私はこのような疑問を抱いていました。

通院を止めてしまったものの、次にどうすればよいか途方に暮れていた頃、知⼈が整体を紹介してくれました。

整体といえば、痛そうで怖いイメージで不安でしたが他に選択の余地はありません、体に劇的な変化をもたらしてくれそうですし、藁にもすがる思いで整体を受けてみる事にしたのです。

実際に整体を受けてみると思いのほか怖くないし、今まで得られなかった爽快感で⾃分に合っているようでした。
求めていた“電気治療と⼿術の間”の治療法にやっと出会えた。そう思いました。

その整体院で受けた治療はまさに衝撃的で、当時はまだ素⼈の私が治療箇所や⼿順などを今でも憶えているくらいですし、何より治療を受けながら「ああ、これで治りそうだ」と実感できたのはすごい事だと思います。

それから数回の整体治療で半年以上も悩まされてきたヘルニアが⾒違えるように改善していきました。
この出来事がきっかけで、という訳ではないのですが、数年後に当時勤めていた会社を退職し、整体師へ転⾝するため整体師育成学校に通うことになります。

整体の学校で学んだこと

整体専⾨学院では整体実技の他に解剖学、臨床理論などを勉強します。
治してなんぼの実⼒の世界なので、カリキュラムは整体実技中⼼でした。

それでも私は物⾜りなさを感じて整体学校を卒業後、カイロプラクティック専⾨校へ通うことにしました。
アメリカで発展したカイロプラクティックを当時⽇本に数えるほどしか居なかったD.C(ドクター・オブ・カイロプラクティック)から直接学ばせて頂いた貴重な経験でした。

学校で教わったことは本当に基礎の基礎。卒後に多くの経験と知識を積む事で治療家としての実⼒が決まります。

修⾏時代

学校を卒業してからは修⾏が始まります。

⼀般的に卒後はカイロプラクティック院、整体院、接⾻院、病院など臨床現場で経験を積んでから独⽴ということになります。私は整形外科医院のリハビリテーション科でお世話になりました。

でも過去に私の腰痛を治してくれなかった病院のリハビリ科が修⾏先というのも変な話ですね。

もちろん本当は整体院やカイロプラクティック院で修⾏したかった・・・。

では、どうしてそうしなかったのか︖これにはいろいろ訳があるのです。
まず第⼀に整体院やカイロプラクティック院の求⼈募集がないということ。
つまりこれは整体院やカイロプラクティック院で⼈を雇えるほど繁盛しているところは稀なのです。

「ウチで雇ってもいいけど給料無し」というところなら有りましたが、いくら修⾏の⾝とはいえ、当時私は結婚もしていましたし、⾷べて⾏かなければならないので現実的に無理です。
なのでそうゆうところでの修⾏は考えませんでした。

この業界は⾔わば職⼈の世界なので、こういった古いしきたりみたいなものが今でも残っています。

「⾒て覚えなさい」そうゆう世界なんです。

現在では治療院の数も需要も増えていますから、私の頃に⽐べると求⼈内容はマシになっています。

次に、病院でも良しとした理由は、地域で⼀番繁盛していたこと。これは場数を踏めることになります。

それとリハビリと⾔っても、たとえば⼀般的なイメージは歩⾏動作の介助などが思い浮かぶと思いますが、そういうのではなく外来で訪れる腰痛や肩こり、ひざの痛みなどの治療が主だったこと。

これらは将来独⽴した時にいちばん扱う疾患なので臨床経験が積めると思ったからです。
そしてその医院の院⻑がお医者さんには珍しく、整体やマッサージなどの⼿技療法に理解があり臨床でも取り⼊れていたことです。

今度はスタッフの立場から病院(保険診療)の限界を知る

病院のリハビリテーション科で受けられる治療といえば、普通は低周波や牽引(けんいん)などの物理療法に終始する場合がほとんどですが、私がお世話になっていたこの医院では物理療法にプラスαとして整体やマッサージ、運動療法などを取り⼊れていました。

このあたりが⼈気の理由だったようで、患者さんは皆マッサージを楽しみにしていて⼤変混雑していました。
スタッフは8⼈体制でしたが、多いときは私⼀⼈でも⼀⽇に60⼈くらいの患者さんをこなしていました。

しかし時間も施術の範囲も定められている保険診療では、なかなか⾃分が思い描いているような治療はしてあげられません。過去の私と同じような症状の患者さんが⼀向に回復しない様⼦を⽬の当たりにして、あらためて保険診療の限界を感じました。

この医院でお世話になり、様々な疾患を⽬にすることが出来たのは良い経験でした。
また、⾃分がこれからやっていく整体は病院ではなかなか⼿の届かない、もう⼀歩踏み込んだ有効なケアを提供できるものであることを再確認させられました。

そして独⽴開院へ

整体学校を卒業してから5年の修⾏期間を経て、平成14年に独⽴開業いたしました。

学校で徒⼿療法の基礎を学び、そして開業後も各種研修へ参加して技術を⾼めています。
これからも⾃⼰研鑽につとめ、より効果が⾼く、⼀⽇も早く⾟い悩みから解放させてあげられるよう治療技術を還元して参りたいと考えております。

⼈の痛みがわかるからこそ出来ることがある

このような訳で私も腰痛で悩まされてきましたから、もう⼆度とあのような⾟い⽬に遭いたくありません。
ですので⽇頃から⾃分のカラダのメンテナンスはかかせません。

どんなケアをしているかというと⼿前味噌になってしまいますが、やはり整体やカイロプラクティックを定期的に受診したり、日頃から姿勢を気を付けたり身体の歪みを取る体操などを怠りません。

⾝体の歪みは不調の根本ですから。

病院や接⾻院で電気治療を受けても⾝体の歪みは治りません。積極的な治療法が⾃分に合っています。

勉強がてらの治療院めぐりは現在まで100軒以上にのぼり、20種類以上の療法をみずからのカラダで試してきました。その中で出会った凄腕の先⽣や、すばらしい療法の影響を受けて⾃分の技に⽣かしています。

そんな整体マニアの私が惚れこんだ、痛みを経験したことのある私だからこそ出来きる療法を実践しています。
「どこにいっても良くならない」そのような⽅には特にオススメします。

▮ 私はこんな⼈です

私はサービス業に携わるものでありながら、気の利いたトークで盛り上げたり、うまいことを⾔って⼈をもち上げたりとか、そういうことが苦⼿です。

無駄話をせずに黙々と施術を進める職⼈タイプの整体師ですが、こういう気質を良い方に生かそうと、「出すぎない接客とコミュニケーション」を心がけ、自然体で気持ちの良い接し方ができる人でありたいと思っています。

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